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卒業生からのメッセージ


卒業生からのメッセージについて

こちらは、未妊治療を卒業された先輩の体験談です。
治療をしている時に感じたこと、考えたこと、
そして治療を卒業したからこそ見えたものなどを
赤裸々に語っていただきました。
これから治療に向う方も、治療真っ只中にいる方も、そして、
治療を受けることを迷っている方にも参考になると思います。



卒業生からのメッセージ Vol.1 〜メタモルフォーゼ管理人 ハルさん 〜

管理人より
卒業生からのメッセージ第一弾はメタモルフォーゼ管理人のハルさんから頂きました。
旦那様は閉塞性無精子症、ハルさんご自身もOHSSを抱えられていましたが、
現在、無事に治療を卒業されました。卒業された後も当サイトにて卒業生の視点から
様々なアドバイスをされ、またメタモルフォーゼではご自身の体験を詳しく紹介されています。

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夫が無精子症でTESE−ICSIを受けたハルと申します。
現在治療中の方にお役に立てればと思い、
うちの無精子症治療体験談を書こうと思います。
現在は治療終了し子供を授かっています。
一部分でもお役に立てることがあれば幸いです。
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結婚

私と夫が結婚したのは、この体験記を書いている2006年から11年も前の事です。
夫は27歳で私は21歳の時でした。 
私は子供のいる家庭というものにとても憧れていて結構当初から
子供が欲しかったのですが、しばらく経っても子供が出来ずおかしいなと
思っていました。
「奥さんは若いからすぐに子供が出来る」というのを世間の人たちに
何度も言われていて自分もそうだと思っていたので 、避妊しなくても出来ない事が
本当に変な事のように感じて、
結婚して数年経ったある日夫に「二人で病院に行かない?」と切り出しました。
病院嫌いな夫は「そんな事しなくたってそのうち出来るよ」と笑いながら言いました。
私も「うーん、そうかな?」なんていいつつ、確かに「そのうち出来る」んじゃないかと
思いました。
しかしその後もずっと妊娠する事はありませんでした。
 
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子供の居ない10年

その後も何度と無く夫に「病院に行って調べてもらおうよ」と説得しても
承諾して貰えませんでした。
夫は夫なりに「そこまでして子供は欲しくない、子供が出来ないなら夫婦二人の人生を
充実させればいい」というような信念がありました。
不妊治療の事を言うと夫はいつも
「子供の居る夫婦は全員必ず幸せなんだろうか?俺は違うと思う。
子供の居ない夫婦だって幸せになれるはずだ。俺は今子供が居なくたって、
ハルと二人で十分幸せなんだよ。」と言いました。
子供が好きで子供が居る結婚生活が当然と思っていた私にはこの言葉は
到底納得出来なかったし、夫は不妊治療が嫌だから逃げている、と思っていました。
 
子供の居なかった10年間、私たち夫婦よりも後に結婚した親戚、友人達に
何度も先を越されて行きました。
お正月は憂鬱なイベントになりました。 
「我が家のニューフェイスです」 
「2人目が生まれました」
などなど、赤ちゃんの年賀状がたくさん届くからです。
みんな結婚した翌年か数年後にはこんな年賀状を送ってくるのに、
うちは何年も「謹賀新年・皆様のご多幸をお祈りしております」なんて
毎年変哲の無い年賀状である事がとても寂しい事の様に感じました。 
 
そんな中、結婚後数年が過ぎた私は産婦人科でタイミング指導を受け始めました。
基礎体温をつけて、生理が終わったら病院に通い超音波検査を受けて
卵胞の大きさを診てもらって、「排卵は今夜ですよ」などと教えてもらいhcg注射を打つ。
たったそれだけでもすごい治療をしている感じがしてドキドキしました。
でも全然妊娠出来ない、病院にいけばなんとかなるかもしれないと思っていたのに、
生理が来た時の落ち込みは病院に行く前よりも激しいものでした。
 
仲の良い親友も結婚後数年で妊娠し、私の姉は「できちゃった結婚」をしました。
「つわりがひどくて何も食べられないの」 
「内診が嫌で妊婦検診を受けたくないんだよね」
「子供を作る気も、結婚する気もなかったのよ。」(←これは姉)
彼女達が言っている事がとても贅沢な気がしました。
両親にその事を言うと「ハルはひがんでいる、妊娠出産は本当に大変なものだ。
その人たちの苦労を考えてみなさい。」と諭され、
両親はいつも孫の誕生に浮かれていました。
確かにそうかもしれないけど、子供が出来た苦労と言う物も絶対あると思うけど、
妊娠や子育てには「幸せ」や「希望」があるのではないだろうか?
不妊治療は、いくら苦労しても苦労しただけの見返りがあるかどうか保証は無い・・・
私はそんな思いがあり、誰にも自分の事を理解して貰えないもどかしさ、
苛立ちを感じていました。
 
周囲の人にはこんな事を言われました。 
「あそこの子宝神社に行ったら子供出来るんじゃない?」
「あなたはペットを可愛がりすぎているから妊娠出来ないんだよ。手放しておしまいなさい。」
「○○教(某宗教)に入信したら長年の不妊症だった人が妊娠出来たんだって、
だからあなたも・・・」
 
子宝神社や宗教に入信して子供が出来る人は何も問題が無いから出来るんじゃないの?
ペットを手放せだなんて、そんな小さな動物の命を粗末にする人が
人の親になれる訳ないんじゃないの!?
そんな迷信を言うのはやめてよ、と耳を塞ぎたい思いでした。
子供の居る生活にあこがれつつ、自分達に子供が出来ない本当の理由を
知りたいとずっと思っていました。
 
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無精子症発覚

夫がやっと病院に行く決心をしてくれたのは、結婚10年目の結婚記念の頃でした。
「結婚10年目になっても出来ないから、二人で病院に行こうか」という風に、
今までの頑固さが嘘のように思い直してくれました。
私は飛び上がらんばかりに喜びました。 
「本当に病院にいくの!?」「うん、本当」なんてやりとりを交わして、
嬉しくて夫に抱きつきました。
夫が協力してくれたらきっと今度こそ赤ちゃんが出来ると思っていました。
 
そして家から程近い場所にある某産婦人科に併設された不妊専門外来に通い始めました。
医師も看護師もとても親切で、説明も丁寧で「ここに来て良かった」と思いました。
不妊専門外来を卒業した人を産科の待合室で見かけることもあり、
昇格したみたいでカッコいいなぁ、自分も絶対こうなろうと強く思っていました。
最初は私の検査から始めて、私は多嚢胞性卵巣と黄体不全症と高プロラクチン血症という
原因が見つかりました。 
「これが不妊の原因だね、排卵障害と着床障害があるから排卵誘発治療をすれば
妊娠出来るでしょう」と、主治医は言いました。
その時私はふと
「確かに原因は見つかったけど、それだけで10年も妊娠出来ないものかな?」と思い、
とても不安になりました。
以前産婦人科に通っていた時に排卵は毎月ではないけどあったし、
夫婦生活も毎月タイミングをとっていたからです。
この悪い予感は的中する事になりました。 
精液検査の結果、夫は「無精子症」と診断され
「精子が居ないなら当院では診ていく事が出来ません」と
転院を言い渡される事になりました。
 
私たち夫婦は現実的な考えを持っていて、不妊専門外来に通う前
「10年も子供が出来なかった自分達が不妊治療を行っても
すぐに妊娠出来る訳はない、困難な道になるだろう」と話し合って覚悟を決めていました。
でも「精子が一匹も居ない」という結果は自分達の覚悟を遙かに超えたものでした。

私はこの数年前から「メタモルフォーゼ」という不妊サイトを作成、運営していました。
同じ悩みを持つたくさんのゲストさん達と語り合ったり不妊症についての記事を
作成したりして、私は不妊症についてかなり詳しくなり治療法や薬品など聞かれれば
すぐに答えられるくらい知識を溜め込んでいました。
しかし無精子症についてはとても珍しい病で滅多にない、
ましてや自分のうちがそんな事・・・という思いがあり、ほとんど知識はありませんでした。
「みんな自分に合った治療を頑張ればいつか必ず妊娠出来る」
と思い自分もその中の一人だと思っていたのに、
精子が無いから治療さえ頓挫してしまった自分が惨めでなりませんでした。 
不妊サイトの管理人であるからには自分がゲストさんの質問に答えたり
励ましたりする立場なのに、そんな元気も気力も無くなっていきました。
私は自分の不妊治療や自分が不妊サイトを運営する意味を考え直す事になりました。
 
無精子症である事を知った夫は 「俺のせいだったんだな」 「種無しか」 
「お前は悪くない、悪いのは全部俺だ」 と落ち込み、
自分を責める姿を見ると私の胸は張り裂けそうになりました。
私は夫に隠れて泣きながら、本やインターネットで男性不妊、無精子症の事を
漁るように調べました。
しかし女性の不妊症については星の数程の書籍やホームページがあるのに、
男性不妊については情報が少ない事に愕然としました。
少ない情報をかき集めて分かったのは、無精子症は精子を回収出来る確率は
50%位であること、無精子症はほとんどの症例でTESE−ICSIしか治療法が無いこと・・・
というとても厳しい現実でした。 
 
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検査と躊躇

精子がゼロだと分かった日から約1ヵ月後、男性不妊の治療が出来るクリニックに
転院をしました。
数回通院し検査を行った結果、夫は幸いホルモン検査、精巣の大きさ、染色体検査など
全て問題なく「閉塞性無精子症」という病名が付き、
主治医に「TESEを行えば精子は99%回収出来るでしょう。1%はわかりませんが、
まず大丈夫だと思います。」という嬉しい言葉を貰えました。 
でも自分で調べると、無精子症の治療はまだ発展途上で「絶対」という事がないというのが
分かっていたので、良い結果を伝えられても不安な気持ちは消えませんでした。
トントン拍子にTESEの日取りやICSIの予定が決まって行きましたが、
私の気持ちは立ち止まっていました。 
 
「夫は本当は痛いTESEなんて受けたくないのに無理をしているのではないだろうか?」
「TESE−ICSIなんて、そんな歴史の浅い新しい治療を受けてもいいのだろうか?」
「普通のICSIよりも困難な道をわざわざ歩まなくてもいいのではないだろうか?」
心が揺れ動きました。
そんな私を励ましてくれたのは友達でした。
「出来る事はなんでもやった方がいいよ、その方が悔いが残らないと思う。
それでもしダメだったら諦めなさいよ!」と厳しくも優しく言ってくれました。
彼女の知り合いには子供に恵まれないのに病院に行かない(検査をしない)まま
諦めてしまった人が居て、今はもう50代で子供は全く望めないそうなのですが、
子供が居ない事をいつも嘆き悲しんでいるのだそうです。
「ハルにはあんな風になって欲しくない、やるだけやって頑張って欲しい」と言ってくれました。
不妊症の事を周囲の人に話すとみんな哀れみの表情をうかべて
「大丈夫、きっと赤ちゃん出来るよ」 
「私の友達でも何年も子供が出来ない人がいて、諦めたら出来たんだって。
だからハルも大丈夫だよ」
などと言いましたが、
私はその言葉に「うちの不妊症がどんなに大変か知らないくせに」と腹を立てていましたが、
その友達が真正面から意見を言ってくれた事が胸に響き、
やはり私も出来る事は全部やって頑張りたいと思いました。
夫とも再度TESE−ICSIを受けることについて話し合いました。
すると夫は「俺はTESEを受けたい、精液の中に精子が1匹も居ないけど
睾丸では作られているのか知りたい。精子が居なかったら諦めなきゃいけないけど、
もし見つかったらICSI頑張ってみようよ。」と言いました。
不妊治療に頑なに反対していた夫が今度は私を引っ張ってくれた事に驚きつつ、
TESE−ICSIに躊躇していた事も
「そんなに難しく考えないで、TESEで精子が居るか確かめる、
精子が見つかったらICSIを頑張ればいいんじゃないかな」と思えました。
そして予定通り、無精子症が発覚してから約4ヵ月後の05年1月に
TESEを受けることに決めました。
 
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TESE−ICSI

TESE当日夫は早朝から緊張してソワソワしていて、
「先に行ってる」と私を置いて先に病院に行ってしまいました。 
私も少し後に一人で電車に乗り病院に向かいましたが
「精子が見つからなかったら今日で治療は終了だ」と思うと、
涙がどんどん流れて来ておいおい泣いてしまいました。
近くの人がみんないぶかしげに私を見ていましたが、どうしても止まりませんでした。
どうしようもない絶望感に襲われていましたが、その時私の頭の中に響いたのは、
昔、夫が言った言葉でした。
 
「子供の居る夫婦は全員必ず幸せなんだろうか?俺は違うと思う。
子供の居ない夫婦だって幸せになれるはずだ。
俺は今子供が居なくたって、ハルと二人で十分幸せなんだよ。」
 
夫はただ不妊治療に反対していたのではなく、もっと広い意味の人生の事を
言っていたのだと この時私は初めて気がつきました。 
「精子が見つからなくたって私たちは不幸じゃないんだ。二人だって幸せだ。
その幸せはずっと続いていく。もっと大きくしていく事だって出来る」・・・と思いました。
過去の夫の言葉は私に大切な事を気付かせてくれました。
ほんの一瞬の出来事でしたが私は落ち着きを取り戻し、涙をふいて病院に向かいました。
 
病院についてすぐに夫は手術室に入りました。
その15分後、主治医は手術着のまま待合室の私のところに来てくれて
「終わったよ、大丈夫だったよ!」と精子が見つかった事を教えてくれました。
道は繋がっていた、赤ちゃんに会う為にまだ頑張ることが出来る!!
そう思うとまた涙がこぼれ、先生に「泣かんでいい!」と笑って肩を叩かれました。
その後すぐ夫も「おーい」と手術室から出てきて、
私が先生に結果を聞いているのを知らないので
「精子見つかったんだよ!」と興奮気味に言いました。
看護師さんも「切開してすぐに見つかったからすぐに縫ってしまいましたよ」と
嬉しそうに言ってくれて、手術室の前は賑やかになりました。
安静後主治医に再度会って話をしました。 
運動精子が多数見つかったという事でした。
夫は局所麻酔が切れてからのたうちまわって痛がっていましたが、
先生は
「痛みがひどい時には奥さんが手を握ってあげてね、それはとても大切なことだよ」と
言ってくれました。
私はこの時、”今だけじゃなくて、これからの人生で夫が辛い時は
いつでも手を握って励ましてあげたい” と思いました。 
 
その後すぐにICSIの前検査を始め、 
3月にはピルロング法にて排卵誘発が始まりました。
夫の検査中、病院の注射室で見かける排卵誘発注射を打っている人が
羨ましくてならなかったので、
自分が今排卵誘発注射を打っているのがとても嬉しいことのように感じました。
夫が「俺もTESEを頑張ったぞ、お前も頑張れ!」と何度も励ましてくれたので、
辛い思いをしたのは自分だけではない、二人で頑張っているという温かい思いを
いつも持つ事が出来ました。
排卵誘発、採卵、受精・・・と一つ一つの節目には「うまくいくのだろうか?」という不安が
いつもつきまとい、結果を聞く前はいつも心臓が胸から飛び出しそうになりましたが、
幸い大きな問題もなく順調に進んで行き、最終的に6つの胚が出来ました。
そのうち2つをお腹に戻してもらう事になりました。
私たちは自然妊娠は無理なのだからせめて夫に側に居て欲しいと思い、
移植の時に立ち会ってもらう事にしました。 
夫に手を握って貰い、私たちの胚を見せてもらっい移植された時には、
先生や培養士さんやTESEを頑張ってくれた夫や
頑張ってくれた精子と卵子に感謝の気持ちが溢れて、涙が流れました。
 
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治療中の方へ

幸い一度目の挑戦で治療が成功し、05年の12月に元気な娘が生まれました。
治療が終了して気が付いた事があります。 
この体験記中でも夫の言葉で励まされた事を書きましたが、
物事は全て色んな面があるという事です。
私もそうですが、周囲の人の言葉に傷ついたり、辛いことばかりで何もかも嫌になった、
などと思う事誰でもあると思います。
でも物事には全て意味があって、ちょっと広い目で見れば違う面が見えたり、
辛い経験が後から自分を助けてくれる事もあるのです。
「あの時があったから今の自分がある」と笑って思い出せる日がきっとやって来ます!
 
もう一つ気が付いた事は、治療中私は自分と夫だけ頑張っていると思っていました。
でもそうではありませんでした。 
両親や友人、みんな私たちを心配して悩んで頑張ってくれていて今に至っていたのです。
そして生まれて来た子も私たちが治療を頑張っている間お空で頑張っていて、
やっと生まれて来たんだと思う事があります。 
皆さんにも応援してくれている方達やあなたたち夫婦に会いたくて
お空で頑張っている子が絶対に居ると思います。 
辛い時はどうか、この事を思い出して助けになればいいなと思います。
 
治療中「不妊治療と不妊サイトの運営について考える事になった」と書きましたが、
両方ともやめてしまおうか?と思った事もありました。
でも勇気を出して治療を受けたことは本当に良かったと思っています。
成功したから、というのではなく、挑戦した事で感じたことや得たものがたくさんあったから。
特に、夫との絆が深まりTESEの日に
「夫が辛い時にはいつでも手を握って励ましてあげたい」と思った事は
一生忘れずにいたいと思っています。
これからの人生で困難に遭った時には不妊治療の日々を思い出し
乗り切って行きたいです。

メタモルフォーゼは現在、男性不妊の情報を提供するHPに変わりました。
無精子症が分かった時情報収集をしていて情報の少なさに気付き、
微力ですが私も男性不妊の情報を提供しようと思ったからです。
これが私の一つの役割なのかもしれないと思っています。
 
夫は自分達の治療の事を振り返り、ギリシャ神話の「パンドラの箱」のようだったと
よく言います。
箱を開けたらたくさんの災厄が溢れ出して来たけれど、
箱の底には希望が残っていたという話ですが本当にその通りだったと思います。 

Esperanza Del Gato にお越しの皆さんも今治療中で大変な思いをしている方が
たくさん居ると思います。
でも私はみんなに絶対希望が残っていて、今進んでいる道の先には
もうすぐ幸せが待っていると信じています。
希望に向かって頑張って下さい、男性不妊の仲間をずっと応援しています。

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