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blueneko
Stairway to heaven
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天国への階段

4度に渡る顕微授精の結果を受け止めきれず、淡々と時間が流れていった。
二人ともこれでよかったんだと無理矢理思うようにしていたように思う。
敢えて、治療のことにも触れず、これから先のことも触れず、
ただただ、漠然と一日一日を過ごしていた。

ある週末、彼が切り出した。
2度目のTESE、院長先生はドクターストップをかけているけど、
もう一度お願いしたらどうだろう?
お願いしてどうしてもダメだというのであれば、俺はこうも考える。
どうしてもみいが子供を欲しい・産みたいというのであれば、
AIDも視野に考えてみてもいい気がすると。

正直、驚いた。私たちにとって、2度目のTESEはともかく、
AIDという治療は選択肢に最初から無かったからだ。

二人で色々話し合った。
カウンセリングの時に院長先生が何故、2度目のTESEを勧めなかったのか。
また見つかってくれる可能性が低いのもあるかもしれないということ、
将来のことを考えると、これ以上、精巣にメスを入れることは、危険では無いか。
スペシャリストが判断したことは、受け入れるべきではないか。

AIDについては、院長先生も勧めてはいたが、
私にとっては受け入れられない治療法だった。
確かに戸籍上は二人の子供と認められる。
でも、私が拘ったのは、『彼』との子供だった。

将来、AIDで生まれてきてくれた子供について
ちゃんと親としての責任が取れるのだろうか?
ルーツの問題もある。
以前、AIDで生まれてきた方のサイトを拝見した際に、ルーツの重みを感じていた。
AIDの場合、生物学上の父親は、誰にも分からない。
多くの場合、一生黙っておくという意見が多数を占めていると思う。
それを本当に一生死ぬまで出来るのか、私には疑問だった。
何かの拍子にその子が知ってしまったらどう思うのだろうと。
そして、私自身、彼自身、その事実を一生、
子供に対して隠し続けることは可能なのだろうかと・・・。

その可能性が0で無い限り、少なくとも私は無理だと思った。

想像のレベルでしかないが、実の親だと信じていた人が
そうでは無いという真実を知った時に感じた衝撃。
大げさかもしれないが、何か土台になっているものを崩されたような
そんな気がしてしまう。
結果的に現状では、実の親は誰なのかを知ることができないし、
産みの親より育ての親ということで気持ち上は折り合いをつけられるかもしれない。
しかし、きっと心のどこかで自分の本当の親は誰なのか知りたいという
気持ちを持ち続けてしまうのではないかと感じてしまう。

事実、そういう風に感じて苦しんでいる人もいるのだから。。。
きっと私が感じるよりもずっと切実だと思う。

サミットの中で、彼は、私の「子供が欲しい」という気持ちや、
小さい子供を連れた母親を見る、私のどこか羨ましそうな、悲しそうな顔を見ると、
何とかしたかったんだ。
私がどうしても子供を産みたいというのなら、それを尊重したい。
もし子供を産むことで私が以前のように笑ってくれるのなら
AIDという選択をしてもいいのではないかと思ったそうだ。

しかし、私と話し合うことで、徐々に生まれてくるその子のこと、
将来の自分たちのことを考えると、自分達の「子どもが欲しい」という欲求だけで、
2度目のTESE、AIDはやってはいけないような気がすると言った。

そのようなことを色々吐露しながら、長い長い話し合いは続いた。
これからのこと、治療をどうするか、様々なことを話し合った。
その結果、私たちは治療を完全に卒業することに決めた。

今でも、小さい子供を連れたご夫婦を見ると、
羨ましいという気持ちは沸き起こることがある。

やっぱり治療を続けたほうがよかったと思う時もある。

しかし、治療から離れて約3年経った今、それはそれでよいのだと思う。
あるがままの自分を受け入れることがようやくできるようになったから。

私たちの治療は最初に望んだ、未妊治療によって子供を授かるという
結果ではなかった。

でも、どんなに望まない結果がその時に出たとしても、
きっと、いつか、別の形の幸せのあり方が見えてくると思う。

子供がいない。それだけで人生が決まるわけじゃない。
子供がいたらいたなりの、いなければいないなりの
それぞれの幸せの形があると思う。

これから先の長い長い道のりを、二人でしっかりと手をつないで
幸せな人生を過ごす為に歩いて行きたいと思う。

いつか天国への階段を登るその日まで。

yoake by julli-mama
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