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blueneko Prayer

祈り 初めての細胞ICSI

bluecat

受け入れ先を探せ

彼のTESEが無事に終わり、私たちは先へ進める事になった。
先に進めるからと言って諸手を上げて喜べる状況ではなかった。
凍結できたものは未熟な後期精子細胞。かなり難しい状況であるということは、
相変わらず変わらなかった。
大丈夫。きっと何とかなると思いながらも一方では、厳しい現実を突きつけられ、
彼のいない一人の時間に涙することもしばしばあった。
でも何とか先に進める、ICSIに進めることは私たちにとっては
望みがまだ残されたということだ。

TESEを受ける前、私は精子が見つかったらすぐにでもICSIを受ける準備をしよう、
月よりの使者さんの到着を待ち遠しく思っていたのだが、
実際、TESEが終わってから思ってもみないほど早く到着した月よりの使者さんから、
さあ、あなたの番だよと、告げられると足がすくんでしまった。

彼にすぐにICSIに進むのちょっと怖いなぁと言うと、彼は
「TESEが無事に終わってほっとしたばかりだし、
そのまま勢いに乗って治療に進むのもかまわないけど、
気持ちがついていけないのなら少し休憩を入れてもいいんじゃない?
♪ちゃんの卵は、冷凍されて爆睡中だろうし、どこにも逃げやしないよ。
焦る必要はないんじゃない?
それになんだかんだ言っても疲れが出てきているだろうし、
ちょっと休憩するのも必要じゃないかな?」と、笑って受け止めてくれた。

治療に進むことに躊躇する理由は二つあった。
一つは、これからさき採卵やET(胚移植)を受ける病院は遠方の為、
排卵誘発をするための注射を受ける病院を探す必要があった。
この受け入れ先の病院を見つけていないことがまず一つ。

もう一つは、細胞ICSIという最先端の医療行為への畏怖というか、恐怖心があった。
何が怖い?と聞かれると困るのだが、頭では理解できている治療内容でも、
実際自分が受けるとなると全く初めてのことであり、
その治療に足を踏み入れることへの漠然とした恐怖としか言いようが無い。
この二つが主な理由だった。
今更ながらTESEを受けた彼の勇気はすごいと思った。
きっと今私が感じている感情を彼はずっと抱えていたのかもしれない。
自分がその立場に立って初めて彼の気持ちが分かるような気がした。

結局、2人で話し合った結果、
治療に向けてなるべく不安材料が無い状態にしよう。
まずは排卵誘発の為の病院を探し出すことが先決で、
見つかってから治療開始としようと言う事に落ち着いた。

病院探しスタートとなったのだが、病院の選び方が悩みとなってしまった。
A病院からいくつか排卵誘発の協力病院を紹介されていたのだが、
ARTをメインに取り扱っている病院、産科がメインの病院と混ざっていることに
気がついた。
どちらがいいんだろう?と疑問がわく。
ネットで未妊仲間に尋ねると、たくさんのアドバイスが返ってきた。
その答えを参考にしながら彼と検討して条件を決めていった。

A病院からの紹介先であるARTメインの病院に問い合わせてみたら、
HMGの注射に関しては快諾してもらえるものの、HCGという夜にうつ注射は
断られるというパターンに何度も遭遇した。
しかし、産科メインの病院だと夜勤体制が整っているので、
HCGまで対応可能とのことだった。
どちらを選ぶべきなのか迷いに迷う。

A病院からは必ずしも紹介した病院でなくても大丈夫とのことだったので、
再びネットで通勤圏内にある通えそうな病院を探すことにした。

いくつかの病院にコンタクトをとった中で、ある病院がOKの返事をくださった。
この病院は通勤圏内でかつ自宅寄りに位置しており、
地元でも有数の実績のあるARTをメインとした病院だった。

彼と一緒に週末、その病院に相談するという形で出かけた。
A病院からの紹介状を渡し、事情をお話ししようとすると、
余り詳しく事情を自分で説明することなしに、
(問診票に我が家の状況を簡単に書き込んでいたから把握されていたのだろう)
ドクターは穏やかな声で
「大丈夫ですよ。夜のHCGの注射もケアしますよ。」と
快く快諾してくださった。

そしてドクターから私の排卵誘発の計画についていくつか質問をされた。
上手く説明できたか分からなかったがドクターは、じっくりと耳を傾け、
紹介状の内容にも目を通しながら治療内容を把握なさっているようだった。

その後、私の体の状態を把握したいので内診とホルモン検査をすると仰った。
内診の際、A病院の院長先生と同じ見解を述べられていた。
内診が終わり、血液検査の為に別室に移動する前に、ドクターから、
ピルの服用期間が終わる少し前に一度来てくださいね。
ピルを服用した時の体の状態も把握しておきたいから。と、仰った。
その後、採血をしてその日の診療は終わりとなった。

これでようやく細胞ICSIに向けての準備は整ったことになる。
受け入れ先の病院が見つかったことで次の月よりの使者さん到着をもって、
治療スタートということになった。

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チーム メディカル ぷりたま 発進

TESEから1ヶ月半後、治療周期に入った。
2周期に渡って治療が始まる。
始めの周期は周期3日目から中容量のピルを服用することによって
古い卵胞を消し、周期をコントロールすることになっていた。

ピルを服用している間、私の身体は劇的に変化していった。
基礎体温は服用直後から高温期を維持し、おっぱいが第二次成長期かと
思うほど、張り、大きくなり、多少の体重増加も伴った。
それに異常なほどの強烈な眠気、たまに襲ってくる吐き気、手足のむくみ、
下腹部の異様な膨満感に悩まされ続けた。
不安になってA病院に問い合わせたところ、全て副作用だと言われ、
心配ないと言われてしまった。

しかし、副作用と分かっていても、普段と体調が違う為からか、
気持ちも不安定になってしまっていた。
ちょっとしたことにイライラし、彼に八つ当たりをしてしまったり、
夜中に吐き気に襲われて彼をおろおろさせながら背中をさすらせたり、
挙句、副作用への不安からか夜中に悪い夢を見てうなされ、
彼が手を握って慰めるというような
彼には多大な心配と迷惑をかけながらピルを服用していた。

妹と何かの雑談のついでにこれらの症状を聞くと、
妊娠初期の症状と良く似ていると言った。
吐き気やむかつきはつわりっぽいし、妊娠初期はとにかく眠いし、
人にはよるけれどむくみもでる、おっぱいも張る、情緒不安定にもなると、
経験者は語るよろしく話してくれた。

彼にその話をすると
「じゃあ、本番に備えてのゲネプロなんだね。いきなり本番だとびっくりする。
みいも不安で今以上に不安定になるだろうし、俺も初めてのことだらけで不安。
ちびすけがやって来たらこんな感じだよって、練習できるのって
いいことだと思うよ。大変な状況には違いないけど」
と、劇的な体調の変化で凹み気味の私の気持ちを前向きに、
良い方向にと切り替えられるようにという気持ちで話してくれた。
その彼の言葉で勇気付けられていた。

副作用の見本市のような状態で体調の変化に悩まされながらも何とか
長いピル服用期間が終了した。
ピル服用期間が終わると同時にあれだけ悩まされていた吐き気から開放され、
少し気分的に楽になった。
A病院からはピル服用期間が終わって数日から1週間後に次の生理が来るという
説明を受けていたので、数日間は薬から開放されるということでほっとしていた。

ピル服用終了後、4日目に排卵誘発周期となる月よりの使者さんが到着し、
刺激周期スタートとなった。
周期3日目よりスプレキュア(点鼻薬)とHMGの注射が始まった。
点鼻薬は1日3回8時間おきということで、携帯のアラームをセットして
忘れないようにすることにした。
日中に一度点鼻薬をしなければならないのだが、これはこっそり化粧室で行った。

注射スタート初日、受け入れ先の病院に向かい、受付を済ませ待機していると、
診察室に呼ばれた。
ドクターから刺激周期のスケジュールをざっと説明してくださった。
これから踏み入れる未知なる治療への不安を打ち消すかのような
ゆっくりと丁寧に穏やかな声で説明してくださり、少しだけ不安が消えた。
この先生とならきっとがんばれると、前向きな気持ちにさせてもらえる
頼もしい先生だった。

その後、HMGの注射を処置室で受けたのだが、その時に細かく注射周期の説明、
内診のタイミング等、予約のことについて説明してくださった。
その時、担当の看護師さんとお話しするチャンスがあったのだが、
その看護師さんは私がA病院に通っていることを知られると、
「大変だけど、がんばってね。応援しています。」と励ましてくださった。
また、待ち時間のことについての話から混み合ってしまうと待ち時間が
長時間になるので、勤務先に事情を話したほうがいいのでは?と
心配もしてくださった。
彼女は、未妊治療はやましいことなんてない。堂々としていればいい。
一人で抱え込むことは無い。あなたにとってストレスにならないように、
楽になれるようにしておいた方がいいと、心から心配してくださった。
その方がきっとあなたにとっても、卵にとってもいいことだからと。
彼女の気遣いが心から嬉しく、いいドクター、スタッフに巡り合えてよかったと、
心から感謝している。

治療周期に入った最初の週末、彼と2人で去年、同じ時期にお参りに出かけた、
子授けで有名な神社にお参りに行った。
彼と2人でTESEの結果報告と成功の御礼、細胞ICSIの成功祈願を絵馬に
書き込み、奉納した。
2人でしっかりと手をつないで願いが叶うように祈っていた。
帰り際に、来年またこの時期辺りに嬉しい報告が出来たらいいねと話した。
本当に嬉しい報告が出来たらいいなと願っている。

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がんばれ!たまちゃんず

排卵誘発の為の通院3日目に一度内診を受けた。
この時にどれだけの卵が育ってきているのか、チェックを受けた。
まだまだ小さいけれど、左右合わせて6〜7個程度、たまごが育っているようだ。
この日からHMG製剤の量が変わり、しばらくの間HMGの注射とスプレキュアによる
誘発を続けることになった。
Dr.によるとこの日から二日後以降から卵の育ち具合や、内膜の様子などを
細かくチェックをし、様子を見ながら誘発していくとのことだった。

その二日後、排卵誘発を始めて2回目の内診があり、左右の卵の数と大きさ、
内膜の厚みをチェックされていた。
内診の際にDr.から
「今日はどうかな?育ちだしたら早いからね。一度中間チェックも兼ねて、
エストロゲンの検査もしておこうね。」
とお声がかかり、内診後、採血をした。

採血の後診察室でDr.とお話しをし、最初の卵チェックよりも
卵の数が少し増え、11個ぐらいとのことだった。

そして、HMGを打つこと6日目に一度採卵・ETをお願いしているA病院に
状況を報告するように指示が出た。
子宮内膜の厚み、育ち始めている卵の数、大きさなどを報告し、
追加のHMGが必要かどうかを判断してもらった。

6日目以降は、毎日自分の中で日々育っていく卵と何れ戻ってくるであろう
我が子のゆりかごとなる子宮内膜の状態をチェックしていかなければならず、
かといって予約診療は予約がいっぱいで受けられないので、
毎回朝一番で出かけていって内診をしてもらうことになった。
それでも待ち時間は最低でも1時間以上は待った。

自分の番が回ってきて内診室に入ると、Dr.が私の子宮内膜の状態、
卵の状態をチェックし、診察室でA病院に報告する必要な情報を
メモに書いて渡してくださった。
そういったちょっとした配慮をしてくださるのがとても嬉しかった。
A病院に報告しなければならないとはいえ、Dr.に色々聞くのは
多少なりとも気後れをしてしまうので、そういう気持ちを察してくださるのが
とてもありがたいなと思った。
そして、A病院に連絡を取り、HMGを追加するのか、
それともHCGに切り替えるのかの指示を仰いだ。

少しずつ着実に卵たちも内膜も育っていてくれていた。
毎回の卵チェックの結果を彼に伝えると、
「順調だねぇ。凄いねぇ。」と喜んでくれた。
そして、私のお腹をしげしげと眺め、この中にいる卵の内のどれかが、
ちびすけになるんだ〜。と、気分はすっかりプレパパのようだった。

連日の注射と待ち時間、その後仕事というタイトなスケジュールで、
毎日疲れてはいるのだが、
我が家の未妊の原因が発覚した当時の絶望感を考えると、
嘘のように幸せな時間を過ごしているような気がしている。

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Go サイン

排卵誘発を初めて6日目以降は、HMGの追加の前に内診を行い、
卵と内膜の状態をチェックし、その結果をA病院に伝え、HMGを追加するかどうかを
確認するという作業が加わった。

受け入れ先のDr.は、そろそろ切り替えの時期だろうと予測を立てて
いらっしゃったが、A病院のDr.は、小さいほうの卵がもう少し大きく育つのを
待ってから切り替えたいらしく、じりじりとした緊迫感の中もう一本、
HMGを追加するという指示が数日間続いた。

そして卵チェックを始めて5回目の日、内診の結果を見て、受け入れ先のDr.は、
今日切り替えたほうがいいと思うと仰りながら、内診結果を教えてくださり、
A病院に結果を報告した。

その結果、A病院からHCGに切り替えるようにという指示が出、GOサインが出た。
HCG切り替えの際に使用する薬剤、切り替えの時間、スプレキュアの終了の
タイミング、採卵日前日の指示、採卵日当日のスケジュール等の説明が
電話越しに伝えられた。

とても大切な内容だけに間違えないように必死にメモを取りながら、
確認作業を行う。
万が一、こちらの勘違いなどあったら大変だ。
一通り確認作業をし終えた後、A病院のスタッフさんから、
「気をつけていらしてくださいね。」と
暖かい言葉をかけていただいた。
初めてのことだらけの治療の中で極度の緊張状態にある私にとって
本当にありがたい言葉だった。

A病院との連絡が付いた後、再び診察室に入り、受け入れ先のDr.にA病院から、
切り替えの指示があったことをお話した。

「いよいよだね。がんばってきてね。」と、Dr.から励ましを頂き、
判定のことも引き受けてくださるとのことだった。
これで排卵誘発周期最後の診察となった。

病院を出た後、彼に切り替えになったとのメールを打った。
前日に彼にはそろそろらしいと伝えてあったので、気になっていたらしく、
即返事が来た。
切り替えのHCGの時間を伝えると、その時間に病院で落ち合えるように
仕事を調整するという返事があった。

その日の夜、最後のスプレキュアをし、切り替えの注射であるHCGをうつために、
病院に出かけた。
注射の後、病院のスタッフさんからも、
「いよいよですね。がんばってね。」と声をかけてもらえた。

本当に丁寧で優しいDr.・スタッフに巡り合えて感謝している。

注射が終わり彼と一緒に帰宅した。
ふたりで、いよいよだね。緊張するねと、話していた。

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お迎え

HCGを体内に入れた翌日、小さな命を迎え入れる準備の為、
A病院に向けて地元を飛び立った。
ブログでお迎え日が決まったと報告するとたくさんの仲間たちが、
暖かい応援のコメントをつけてくれた。
その応援に後押しされ、極度の緊張も多少ほぐれたように思う。

現地には採卵日前日に入り、その日の夜は、
彼や友人とメールのやり取りをしながら、ゆっくり過ごした。

翌日、朝指定の時間ギリギリに到着。
宿泊先は病院から徒歩5分圏内だったのだが、不慣れな土地プラス
生来の方向音痴も伴い、迷子になってしまった。
余裕を持って宿泊先を出たはずなのに、ギリギリセーフの時間に到着してしまった。

受付を済ませ、渡された書類に目を通し、問診票に記入をしていると、
中待合室に呼ばれた。
本日採卵日の患者さんが何人もいた。
しばらく待っていると、看護師さんが中待合室に来られ、
採卵当日〜ETまでの間の説明を受ける。

説明の後、処置室に呼ばれ、細胞ICSIの為の同意書を渡し、体重を量った。
体重を事前に量るのは麻酔の量を決める為だとのことだった。

その後、院長先生による内診を受けた。
あっという間に内膜の厚さ、卵の数を数えられ、麻酔下による採卵が決まった。

内診の後、一度ロビーで待機になった。
しかし、待機と呼べる時間もないぐらい直ぐに看護師さんが迎えに来られ、
リカバリールームと呼ばれる部屋に移動となった。
貴重品を専用ロッカーに預け、術着に着替えていると、
看護師さんが再び呼びに来られ、オペ室に招きいれられた。

生まれて始めて本物のオペ室を目の当たりにし、
ドラマで見たのと同じだと感動していた。
が、手術台に乗るようにと言われ、手術台に乗った瞬間、
極度の緊張に襲われてしまった。
事前に彼がTESEの際に軽く手足を縛られたという話を聞いていたのだったが、
私も同じように縛られ、
あっという間に点滴の準備、麻酔の準備が整い、酸素マスクをかけられた。
「麻酔を導入します」と、言われ、「はい」と返事した後、直ぐに私の意識は、
遠のいてしまった。

採卵の後、一度看護師さんに起こされた。
しかし、思うように声も出ず、強烈な眠気が襲っている為、
返事をしたのかしないのか、自分でも分からないまま、また眠りに落ちた。

麻酔下の眠りは色んな夢をたくさん見た。
内容は全く覚えていないが、遠くで音楽が流れているような
ふわふわとした夢だった。
半ば起き、半ば眠っているようなうつらうつらした意識があったようにも思う。
時々、看護師さんと思われる足音や、他の患者さんの話し声が
聞こえていた気がする。

麻酔から醒め、意識がハッキリして来た頃にナースコールをし、
点滴を抜いてもらい着替えてリカバリールームに移動した。
リカバリールームで看護師さんから処方された薬の服用方法、
ETの日程のことなどの説明があり、処方箋やETの日に必要な書類を受け取った。
その後、看護師さんと一緒に中待合室に移動し、採卵後の診察があった。
採卵後の診察で特に問題が無いとのことで、これで採卵は終わった。

処方された薬を薬局で受け取り、宿泊先に戻ってから軽く食事を取ったが、
麻酔がまだ身体に残っているのか余り食欲も無く、
疲労感を伴う眠気がずっとあり、気がついたらテレビを見ながら眠っているという
状態だった。

採卵の翌日から大雨が降っていた。
雨は一日降り続き、そのせいなのか、それとも初めてのART体験、
不慣れな場所にたった一人でいて疲れが出ているのか、
どこにも出かける気が起きなかった。

時々、ダーからのメールや、未妊仲間のメールが届き、
そのやり取りをしながらその日一日を過ごしていた。

無事に受精していてくれますように・・・。
無事にお腹に戻せますように・・・。

採卵が終わったもののまだまだ関門が残っている為、少し不安を感じながら、
前日の採卵の疲れなのか、それとも降り続く雨のせいなのか、よく分からないが、
眠気が強く、メールのやり取り以外はほとんど眠って過ごしてしまった。

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二人のちびちゃん

いよいよ顕微授精の結果が分かる。
前日から降り続く雨は、出かける時間になってもまだ降り続いていた。

傘が役に立たないぐらいの大雨の中、一路病院を目指した。
受付にはET専用の受付があり、そこに名前を記入し、
採卵日に渡された書類を受付の方に渡し、ロビーで待った。

やがて中待合室に呼ばれ、ゆりかごとなる子宮内膜のチェックがあった。
内診が終わるとまたロビーで待機となり、しばらく待っていると、
カウンセリングルームに呼ばれた。

カウンセリングルームに入ると、院長先生と看護師さんが迎えてくださった。
机の上に、その日ET予定の方の名前がずらりとあり、何かしらが記入されていた。

院長先生から今回の顕微授精の結果を教えてもらった。
受精卵の様子の一覧がプリントされた紙を見ながらの説明だった。
その紙には、採卵の結果の卵の状態、受精した卵の状態が書き込まれてあった。

採卵できた卵は10個、その内、顕微授精に使えた卵は4個のみだった。
残りの6個は残念ながら未成熟卵とのことで、使えないようだった。
その4つの卵の内、受精し、分割してくれたのは二つ。
一つは4分割、もう一つは3分割とのことだった。

無事に受精してくれた。分割もしてくれた。
未熟な後期精子細胞を使用した顕微授精の為、果たして受精してくれるか、
本当に心配だったのでほっとした。そして、嬉しかった。

院長先生より私が予め質問票に書いていた質問の回答があり、
受精・分割してくれた二人のちびちゃんをお腹に戻すことと決まった。

この結果の後、再びロビー待機となり、この間にダーにメールを打った。
直ぐに返事が来、よかった。嬉しいよ。と、彼もまたほっとしていたことだろう。
彼からのメールを確認した後、よほど嬉しかったのか、よかったよ〜。と、
仕事の合間にも関わらず、彼から電話がかかってきた。

私もやったね。本当によかったよ。
これで二人のちびちゃんがお腹に帰って来るんだよ。
と、目をうるませながら彼に伝えた。

しばらくすると、看護師さんが迎えに来られ、移動となった。
移動先の更衣室で術着に着替え、ET待ちの控え室で待機となった。
10分ほど経っただろうか、看護師さんに名前を呼ばれ、
採卵の時に術着に着替えたリカバリールームに移動し、
ストレッチャーに乗せられ、そのままオペ室に移動となった。
オペ室には、ETを担当する医師や数人のスタッフが待機しており、
私の名前を確認された。

お腹にゼリー状の薬剤を塗られ、膀胱の少し上ぐらいのところからエコーを使い、
子宮の状態確認があった。
その後膣洗浄があり、カテーテルに入ったダーと私のちびちゃんずが
私のお腹の中に戻っていった。
時間にして5分から10分程度だったと思う。
あっという間に初めてのちびちゃんずのお迎えが終わった。

ちびちゃんずのお迎えが終わった後、ストレッチャーに乗ったまま移動となり、
採卵の時と同じようにリカバリールームに運ばれた。
約1時間ほどそこで安静を取るとのことだった。
この間に、看護師さんよりET後の注意点、妊娠判定のこと、
処方された薬の服用についての説明があった。

1時間後、着替えて受付に移動し、精算をし、
これで初めてのちびちゃんずのお迎えは終了となった。

病院を出た後、以前からメールでやり取りをしていた病院仲間から教わった、
ここの親子丼を食べると妊娠するというジンクスを持つお店に行き、
親子丼を食べて宿泊先に戻った。

この方や、未妊仲間に無事にお迎えが済んだという、
報告メールを送ると、次々と自分のことのように喜んでくださった。
暖かい仲間と共に迎えた一日だったと思う。

ダーにもまた、無事にちびちゃんずがお腹に戻ってきてくれたことを報告し、
明日地元に戻る手はずを整えた。

夜に、夕食を取る為に宿泊先の食堂に行くと、
ET控え室で一緒だった方と偶然出会った。
お互い一人だったので一緒に夕食を取ることにした。
お互いに家族に報告したことなど取りとめの無い話をしていたが、
彼女がこれでようやくスタートラインに立てたんだよねと、仰っていたのを聞き、
本当にそうだなと思った。

ETをしただけで、まだ妊娠特有の症状が無いのにも関わらず、
気分はすっかり妊婦さん気分だった。
気がついたら無意識の内にお腹を撫でたり、庇うようにしていた。
明日パパのところに戻るからねと、話しかけ、
この日一日、本当に幸せな一日を過ごせた。

このまま上手く妊娠できますように・・・。
そう祈りながら、お腹にいるちいさな二人のちびちゃんずに話しかけながら
眠りに着いた。

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幸せな2週間

ETの翌日、ダーの元へと飛行機に乗り移動した。
空港で「こうのとりシュー」という何ともタイムリーな名前のシュークリームを
発見し、ダーと私の分を一つずつ買い、お土産なども買って、搭乗時間まで
時間を潰した。

飛行機に乗る時に、プレママであることを航空会社に伝えており、
最優先で搭乗し、最優先で飛行機から降り、荷物も全てフライトアテンダントさんに
お任せした。
地元の空港に着くとフライトアテンダントさんが、グランドサービスの担当者に
引継ぎ、グランドサービスの方が到着出口まで付き添ってくださり、
到着出口まで迎えに来てくれているダーに引渡しとなった。

迎えに来たダーは、グランドサービスの担当者にお礼を言い、
担当者が立ち去られた後、お帰り、みい、ちびちゃんず。と、お腹を撫でてくれた。
重いものは全て持つなとダーは言い、担当者から手渡された、私の荷物を
持ち上げ、ゆっくりと車に移動した。

二人でのんびりと自宅までドライブをし、病院の様子や、
採卵やお迎えの時の話をした。
彼は運転をしながら嬉しそうに相槌を打ってくれていた。

休日、病院仲間から教えてもらった「安心マタニティブック」という本を調達した。
そこには一日、一日のちびちゃんずの様子が書かれてあり、
彼とその日に当たるであろう日のコラムを読みながらお腹をさすり、
上手く木の葉型のベッドにもぐりこんでくれているといいねと話していた。

2週間後、運命の判定日があるけれど、この時の私たちは、
初めての妊娠に喜ぶごく普通の夫婦と同じように、
暇さえあれば、お腹をさすり、話しかけ、幸せな時間を過ごしていた。

判定までの2週間の間、私の体調は本調子ではなく、強烈な眠気とともに過ごした
2週間でもあった。
それ以外には特に処方された薬の副作用も無く、
時々下腹部がちくちくする痛みがあったり、腰痛がある程度で、
この兆候がいい兆候であればいいなと思っていた。

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またね

判定の日がやって来た。
妊娠判定は、排卵誘発をお願いした病院で行った。
しかしながら、ET後13日目ということもあり、判定した結果、
はっきり妊娠している・していないは言えないなと仰っていた。

しかしながら、Dr.から余剰胚はある?という質問があったことから、
いい結果では無いということが漠然と感じられた。
その結果を踏まえてA病院に連絡を取ると、もう2日、処方されている薬を飲み、
市販の妊娠検査薬でよいので再度判定するということになった。

後2日の猶予を与えてもらい、二日後、市販の検査薬で判定した結果、
陰性という結果になってしまった。
私が気がつかない間にいつの間にか二人のちびちゃんは、
空に旅立ってしまったようだった。

ダーと二人で何度も検査薬の判定窓を見ても陰性だった。
事実が嘘ではないということが分かると、
二人でお互いを抱きしめ、声を上げて泣いた。

何がいけなかったのだろう?
何が足りなかったのだろう?
いくつもいくつも答えを探したが分からないままだった。
せっかくお腹の中に戻ってきてくれたのに・・・。
二人のちびちゃんを守れなかった・・・。
自分のふがいなさが情けなくて悲しくてそして悔しかった。

そしてダーが声を上げて泣くのを初めてみた。
彼の涙を見て心の底から彼をパパにしてあげたい、自分もママになりたいという、
気持ちがこみ上げてきた。

ダーの腕の中でしゃくりあげながら「ごめんなさい」と言った。
ダーは「みいの責任じゃないから」と慰めてくれてはいたが、
涙はなかなか止まらなかった。

こうして初めての顕微授精は失敗に終わった。
しかし、2度目の判定日もまだ体温は高温期を維持しており、
自分自身の体が母親の身体になる為の準備をしているままというのもあり、
二人の小さな待望の命がもう自分の体内にいないという実感が全く無かった。

若しかしたら、まだ分からないのかもという淡い期待を抱いていたが、
処方された薬の服用を停止した数日後、
月よりの使者さんが到着し、このわずかな願いも空しく叶わなかった。

幸いなことに、月よりの使者さんが到着した時、一人ではなく、
彼も傍にいたので、この現実を一人で受け止めずに済んだ。
しかし、使者さんの到着を確認したとたん、本当に二人の小さな命が
いなくなってしまったことを思い知らされ、彼と二人でまた、声を上げて泣いた。

この世に存在することもなく、存在を知らせることもなく、
私たちに旅立つことを知らせることもなくそっと旅立ってしまった
私たちのちびちゃんずを失くし、心の底から悲しく、悔しく泣き崩れてしまった。
その日は、二人で手をつないだまま眠った。

一晩泣き明かしたからか少しはすっきりとはしたが、
何かの拍子に旅立ってしまったちびちゃんずのことを考えては落涙してしまう、
そんな日々を過ごしていた。
何もする気になることが出来ず、最低限の家事をし、仕事をこなすだけで
精一杯の毎日を過ごしていた。

彼は気丈に振舞ってくれていたが、私がそんな様子だった為だったんだろうと思う。
ただただ黙って見守ってくれていた。
悲しい感情が湧き出て涙するたびに
彼は「泣きたい時は泣いていいから。ただ、自分を責めないでくれ」と、
背中をさすり続けてくれていた。

それからしばらくし、ようやく落ち着いてきた頃、ダーと二人で、
たった2週間だけだったけれど、ちびちゃんずは、
確かに存在してくれていたのだから、せめて親らしいことしようと話し、
週末、彼と二人でちびちゃんずの供養をするため、あるお寺に参拝した。

二人でお線香を上げ、ちびちゃんずのことを祈った。
心の中でちびちゃんずに話しかけ、
よくがんばったね。お腹に戻ってきてくれてありがとう。
抱っこしてあげられなくてごめんね。
でもいつか、きっとあなたたちに会えることを願っているよ。
それまで、その日までのんびりお空で待っていてね。
だから、その日までまたね。と、祈った。

今回の顕微授精は失敗に終わってしまったけれど、
恐らく二人のちびちゃんずは、ダーや私自身に親になる覚悟や気持ちを
確かめる為にやってきたのだろうと思う。

この治療を通して改めて親になる・なりたいという気持ちを再確認できたように思う。

またね (水面幻想01 Studio Blue Moon)
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