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blueneko   Why do we alive?

存在意義

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存在意義

2度に渡る治療の失敗の後、疲れ切った身体と悲しみに沈む気持ちを
リセットするために彼と二人でお墓参りをかねた旅行に出かけた。
例年は夏季休暇を利用して出かけるのだが、今回は秋口の連休を
利用することにした。

長距離ドライブを終え、宿泊先に着いた後、二人で宿泊先の近くにある
居酒屋で夕食をとることにした。
そこで彼とこれからのことや治療のこと、今までのことなど
お酒の席だからこそ言えるざっくばらんな本音を話していた。

その中で彼が治療に関して思うことを明かしてくれた。
酔った勢いでしか私に言えなかった事もあったのだろう。
今更ながら彼の抱えていた気持ちを知るにつけ、何ともいえない気持ちになった。

無精子症が発覚した当時、彼の気持ちは真っ白になってしまったそうだ。
何故自分がこんなことになったのだろう。という思いが心の大半を占め、
治療法があるのかとか、どうしたらいいのだろうというような気持ちは
かなり後からになって思ったのだそうだ。

また、自分の存在意義についてまで考えてしまったとも言っていた。
仕事は俺がいなくても誰かがやっていく。
所詮、社会においては歯車に過ぎない自分。

子供を作ることも出来ない・出来ないかもしれない、
愛する妻を妊娠させてやることすらも出来ない俺は、雄としても失格。
生きている価値なんてないんじゃないか。
俺の存在価値なんて無意味じゃないかとまで思いつめたそうだ。

そして死ぬことも考えたそうだ。
今俺がいなくなればみいだって自由になれる。
こんな誰もが当たり前に出来るものだと思うことが出来ない、してやれない
俺から開放されたら、みいはきっとこんな苦しみから開放されて楽になれる。
でもみいのことだから、離婚を切り出したところで、絶対離婚はしないと
言うに決まっている。
だから何も言わずいなくなったほうがいいのかもしれない。

でもそんなことをしたら私がこれから先どんな思いで生きていくのかと思うと
それも出来なかったと笑ってはいたが・・・。

彼が苦しんでいたのは知ってはいたけれど、そこまで思いつめていたのかと思うと、
何とも切ない気持ちでいっぱいになった。

気持ちを切り替えられたのは、私が何も言わなかったことだそうだ。
黙って見守ってくれていると感じていたし、
何があっても俺しかいないんだって言ってくれたことだそうだ。

待つことの大切さを改めて感じる。
彼が思いつめた行動をとらなくて本当によかった。

しかし、私もまた彼が考えたことを考えてしまう。
自分たちの存在意義って何だろうって。
子供を産み育てることが人生の全てではないとは分かっているけれど、
生きとし生けるものとしての自分のDNAを次世代に繋げる事で
自分の存在を残せる大きな事柄の一つなのだから、
どうしても子供を産み育てることに自分の存在意義を見出してしまう。

でも存在意義ってなんだろう?とも考えている。
存在する為の理由って生きていく上で必要なんだろうか?

誰もがごく普通に手に入れることが出来るはずのものが、出来ないとなると
難しく考えてしまいがちになるし、悲観的にもなる。
未妊治療は本当に様々なことを考えさせられる治療だ。

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治療中断

2回目のICSIの時に発覚した子宮頸がんの再検査をICSIの失敗の後、
3ヶ月に一度の割合で細胞診を受けていた。
検査結果は変わらずステージ3aのまま、膠着状態が続いていた。

2度に渡る再検査の後、Dr.からもう一歩踏み込んだ「コルポ診」を
やってみようという提案が出され、コルポ診を受けることとなった。
コルポ診の結果、ステージは3aから3bに進んでいるという診断が下った。

偽陽性であるステージ3aの中度異形成から3bの高度異形成へと
ステージアップしてしまい、いわゆる前がん(0期)という診断になり、
5%の確率に入ってしまっていた。
我ながらなんとくじ運のいいことかと苦笑してしまう。
この結果を踏まえ、検査をお願いしている病院では手術対応が出来ないため、
大学病院に転院することとなった。

大学病院に転院し、再度コルポ診等をした結果、
やはり転院前の病院での検査と同じステージ3bという診断が下り、
出来ている前がん(又は高度異形成)を切除し、根治治療をすることに決まった。

がんと一口に言ってもいわゆる「癌」になる前の超初期のがんとのことで、
生命を脅かすほどのレベルでは無いし、未妊治療を諦める必要も無いとのことで、
ダーも私もほっと胸をなでおろした。

私が転院した大学病院では二通りの手技があるのだが、
主治医や彼と話し合った結果、より再発率の低い円錐切除術という術式を選択し、
切除してもらうことになった。

よって、最後の未妊治療となるであろう、三回目のICSIは、
しばらく無期延期となった。

現在の子宮頸がんの主治医の説明によると、
手術後、2ヵ月後には未妊治療の再開は可能であるとのことであるが、
がん治療の場合、術後経過観察の為の通院もある為、
いつにするか、なるかは全く分からない状況になっている。

ただ、この結果を踏まえて2度目のICSIの時に戻ってきてくれたちびちゃんずは、
私のこの異変を声を大にして知らせに来てくれたのだろうと思っている。

そして今度こそ彼をパパにしたい、ママになりたい。
そんな風に思いながら日々を過ごしていた。

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異変

2回目の細胞ICSIが失敗に終わったが、
前回のように二人で涙することはなかった。
振り返ると前回以上にショックを受けていたのにも関わらず。

二人とも淡々と事実を受け止め、淡々と日常生活に戻っていたつもりだった。
が、心は悲鳴をあげ続けていたのだろう、私に異変が起こってしまった。

2度に渡る治療の失敗から、子供が得られないかもしれないという
漠然とした未来への不安感を拭えない事や
自分の体に起こった高度異形成という病気のこと、
次々と起こるバッドラックに心は恐怖と不安に押しつぶされてしまっていた。

私自身が自分の心が不安定になってしまっていることを認めず、
それにふたをし押し込めてしまい、心の奥底で澱のように溜まっていき、
いつしかそれは決壊寸前になってしまっていたのだと思う。
そして唐突に決壊してしまった。

ある日、母からの電話でたわいも無い話をしていたのだが、
母から聞く、甥っ子たちの様子をまともに聞くことが出来なくなった。
それまでは機嫌よく応対していたのだが、突然拒絶反応を起こし、
感情のコントロールが出来なくなってしまい、それを悟られまいと、
疲れているからと電話を切ってしまった。
電話を無理やり終わらせた後、涙がとめどなく流れ、
泣き止むまでにかなりの時間を費やしてしまった。

それ以来、母からの電話の後、必ず号泣してしまうという事態になってしまい、
感情のコントロールが難しい状況に陥ってしまった。
そういった心理状態になってしまうことが怖くなり、
心配した母からの電話やメールを無視し、
それ以外にも自宅にかかってくる電話も取ることが出来なくなり、
自分の殻に閉じこもってしまうような状態になってしまった。
と言っても子供に関連するような話題でなければ問題なかったのだが・・・。

実家や義実家に激しい拒絶反応を起こし、連絡を取ることが出来なくなり、
家族間との連絡などは全てダーが対応するしか対処方法がなくなってしまった。
その行動によって彼や実家に心配をかけてしまっている自分自身に対し、
苛立ちを感じてしまう悪循環に陥ってしまった。

身内の喜びや楽しみに関して同じように喜んだり楽しんだりすることも出来なくなり、
ひがみ、嫉み、嫉妬の感情が渦巻き、
今思えば、「なんで私ばっかり」と、どっぷりと「不幸で可哀想な私」に
嵌り込んでしまった状態だったと思う。

どうせ私は幸せになんかなれないんだと思い込み、
自分自身の醜い気持ちを自分で突き付け、追い込み、
時には何もかもどうにでもなれという投げやりな気持ちが押し寄せ、
それに押しつぶされてしまう自分をどうすることも出来ずもがいていた。

未妊治療はよく出口が見えない治療と言われているが、
それ以上に心のケアを充分にしていかなければ、
心が先に疲れてしまうのかもしれない。

neko2 by vega
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